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認めたくなかった敵の正体
ウイルスを作ったゾブリストは自殺していますが、やはり真の敵は彼の後継者。
それが医者のシエナでした。
これに関しては物語最初の男を匂わせた発言の後から疑っていたんですが…
正直信じたくなかったですね。シエナは過去2作のヒロインと比べても物凄く有能で若くて行動力のあるキャラクターだったので。
シエナはゾブリストのことを愛していて、彼の唱える大量殺戮を引き継ぐためにラングドンを騙し、ウイルスの場所を探し出す道具にしていたのです。改心してくれないかなと思っていましたがやっぱり無理でした…。
ラングドンの記憶喪失も全て敵の計画
WHOに所属するラングドンの元恋人、シンスキーがラングドンにポインタの調査を依頼したのが全ての始まり。
手がかりがラングドンに渡ってしまったため、ゾブリストに何かあった時のためのバックアップ計画としてラングドンを拉致。薬品を注射することで記憶喪失にしていたのです。
記憶喪失になったラングドンに対して医師のシエナが頭を拳銃で撃たれて記憶喪失になったと装い、自作自演の追手に追わせることで、ラングドンをウイルスの場所を突き止めるための道具にしていました。なかなか手の込んだ計画でしたね…。
映画『インフェルノ』は原作と結末が大きく異なる!!
昨日映画を観た後、原作を速読したんですが、結末が全然違っていました。
大きな違いをいくつか紹介します。
シエナが敵ではない!
ここがまず大きなポイント。
敵だと信じたくなかったシエナですが、原作ではその通り、敵ではありませんでした。
ウイルスの場所がわかった後から映画同様、シエナは姿を消し単独行動をしますが、
それはウイルスを誰の手にも渡さずに完全にこの世から消すためでした。ウイルスを人の手に渡すと、今までの歴史から必ず兵器として扱われると思ったからです。
その後のシエナの振る舞いも原作ではヒロインそのもの。シエナを魅力的に感じた人は絶対原作を読むべきです。断言しておきます。
ウイルスの散布は阻止できず、全世界に蔓延してしまう
映画ではウイルスの散布を意地で阻止するラングドンですが、
原作では、イスタンブールの貯水池に着いた時点で既にウイルスが散布してしまっていることが明らかになります。
「この日付のはずなのに、何故だ!」となるラングドンとシエナですが、その日付は散布する日付ではなく、蔓延が完了する日付でした。
ウイルス「インフェルノ」が大量殺戮を目的としたものではない
映画では大量殺戮のウイルスでしたが、原作ではそれも異なります。
原作のウイルス「インフェルノ」は遺伝子を書き換えて、全人類のほんの一部が生殖機能を失うというものでした。ゾブリストの描かれ方も、彼は彼なりの方法で世界を救おうとしたという解釈で、映画ほど悪い感じではありません。
蔓延してしまったウイルスに対しても、シンスキーは解決させるためにまた人類を新たな何かに感染させる必要性と、そのウイルスを無効化する必要性に関して問います。
人類はこれを受け入れて一歩先に進むべきなのかどうか。このような重いテーマになってくるのは、まさにダン・ブラウンの過去2作と似通っていて面白いなと感じました。これは原作のほうがいいなぁ。
人口を減らすためのウイルスで思い出したのがhuluで観た海外ドラマのUTOPIA。あちらも緊迫感のあるサスペンスでとても楽しめたんですよね。こういう題材のやつが好みなのかも。
『ダヴィンチ・コード』と『天使と悪魔』はhuluで見放題
映画館から帰ってきた後って、無性に関連作品を続けて観たくなりませんか?
まさに今私はこの記事を書きながら『天使と悪魔』を観ていますw 家ではなかなか2本続けて観る気にはなれませんが、映画館から帰ってくると絶対にもう一本観たくなります…。これなんでなんでしょうね。やっぱり興奮して帰ってくるからでしょうか。
huluは未登録の方でも2週間無料で観れますので、今すぐに過去作を観れちゃいます。私のように観たくなっちゃう方は是非! ※時期によっては配信されていない可能性がありますのでご注意ください。